五島列島の中で福江島、宇久島、中通島は戦後までは生息していたが、福江島、宇久島は終戦直後、中通島は15年前に絶滅した。この3島以外では、生息していたと証言は得られていない。 戦後の土地開発とその後の経済林の過剰植林が原因ではないかと推測される。 一般の人は、ニホンミツバチといったら蜜を採るためで、花粉媒介のことはあまり知られておらず、そのため、戦後60年余り、花が咲いて実のなる作物が十分に生産されないままになっております。 ニホンミツバチによる花粉媒介は、それによる農産物の生産を通じて、私たち人類が最も恩恵を受けているミツバチの「役割」といえます。 平成18年2月下旬に五島で絶滅したニホンミツバチを復活させようと、五島市岐宿町在住の医師 宮崎昭行氏と佐世保市在住の久志冨士男氏の活動が始まりました。 同年3月に久志氏が五島地区を再調査したが、ニホンミツバチは1匹も確認できなかった。 五島のニホンミツバチ絶滅の原因は雑木がなくなり、それが生み出す食料の蜜が枯渇していることであった。 しかし、五島内でも雑木が部分的に再生しており、宮崎氏による活動が始まる。 平成19年3月に長崎県島原市で3月下旬~5月上旬の分蜂(巣分かれ)時期に待ち箱を30箱設置し、4箱の捕獲に成功した。 五島に持って帰る際に1箱死滅(移動中に巣板がつぶれてしまった。)し、計3箱となり、内2箱を富江地区、1箱を岐宿山内地区で飼育開始する。 富江地区2箱は日当たりが良い場所を選定したが、日中に日陰ができずに、また屋根をスレート波板にしなかったため巣箱内の温度が上がりすぎ死滅してしまい、岐宿山内地区の1箱のみとなる。 佐世保市の久志氏より4箱購入し、合計5箱とし、分蜂後12箱とする。 平成20年3月に再度島原市で分蜂時期に、待ち箱40箱設置し、15箱捕獲した。 現在、宮崎氏19箱、富江地区の平野氏4箱、奥浦地区の今村氏2箱、戸技地区の花村氏6箱が飼養している。 宮崎氏は「五島地区の宅地造成や森林伐採などで、環境が変わった。今後、五島の農業生産や森林を守るために、ニホンミツバチを復活させ、広めていきたい。」と熱く語る。





